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よろづ天道まかせで

落目を貢ぐ大事の金

この金融危機が始まったころくらいから、ずいぶん以前から親しくしていたいくつかの中小企業の苦境を耳にした。業績自体はさほど悪くないのに、資金繰りが厳しいと。世間では、貸し渋り貸しはがしというが、騒ぎはしても所詮は他人事。

そうはいっても、苦しい状況を知っても、私なんぞ、なにもできない。もしもカネがあればどうするか考えてみるが、そもそもカネなどない。

黙阿弥の名作といってよい歌舞伎脚本、『小袖曽我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』には、

そうしてマア、お前は大枚の金を持(もつ)て、夜(よ)る夜中(よなか)どこへ行(ゆく)のだ。


サア、此金はわしが親仁(おやじ)が、御恩になったそのお人の、落目を貢ぐ大事の金。殊には*1今宵につづまる切羽。それ故夜道も厭はづに、参りましたが折悪しふ、持病の悩みに思はぬ暇入り。嘸(さぞ)待侘てござりませふ。

の名文句あり。

劇中ではこの大金にもワケあり。それを持って急ぐ。先様は「今宵につづまる切羽」。病をおして駆けつけんとする。

この名場面を思うにつけ、人間、よい時ほど、人様のためになることをしておかんとならんと思う。でなければいざというとき駆けつけてくれる人はいないもの。

人間、どんなときでも傲ったらいかんなとも思う。傲る得意の時期を見られてしまえば、イザ落ち目の、その厳しさも、理解はできても、それだけとなり、ましてや大事のカネは大事にしまっておかれる。

最近の振り込め詐欺を聞くにつけ、最近の人は「大事の金」を知らないのかなと感じる。

自ら直接、カネを渡す先に会って渡すのが「大事の金」。

振り込みのような代理人を間に立てるのは大事ではないと考えるべきなのかもしれない。

*1:注:ことさら