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よろづ天道まかせで

草臥

最近疲れやすい。なんだかくたびれる。

仮名漢字変換のATOKでは、くたびれるを変換すると、ちゃんと、草臥れると出る。この変換ソフトには不満も多々あるが、この点はなかなかよい。

草にか、あるいは草がか知らないが、臥(ふ)す。音読みにすれば、「そうが」、であろうが、昔は、疲れ果てた人や年老いてやつれきった人を草臥者(くたびれもの)といった。者を略して単に「くたびれ(草臥)」とも言った。まことに、草に臥すの態。

黙阿弥は座頭殺しの怨霊譚、『蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)』(安政3年市村座初演)で、登場人物の十兵衛が旅の途中、独り旅籠に泊まるところをこう描いていた。

いね お風呂がよろしうござりますが、直におめしなさいますか。
十兵衛 ちと風気(かぜけ)故、湯は止しませう。
いね 左様なら、お座敷へ御案内致しませうわいな。
十兵衛 どれ、草臥を休めようか。

湯もよしにしなければならぬほどのくたびれ、舞台で上演されたときの役者の演技も目に浮かぶ。

おそらく、私だけではない。いまの世の中、苛烈に仕事を急かされ片付けきれぬ仕事の山にトコトン疲弊している人は多そうだ。草に臥すは、そこから時計の針を進めれば、草むす屍であり、最後は、野辺のしゃれこうべである。十兵衛は「くたびれ」を座敷で休める。それはまだよいほうかもしれない。今の世、生体としての人間が悲鳴をあげるほど、過酷な労働が蔓延している。

みなみなさま、くたびれをやすめよう。