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よろづ天道まかせで

実は「じつ」、「まこと」。realである。

植物の種を実とも言う。その意味がなるほどと分かる文章。三浦梅園『童蒙筌』に見つける。

罌粟(けし)芥子(からし)の子(み)は至(いたって)小(ちいさ)し。され共地に樹(うゆ)るに内にひとつの誠あつて奪ふべからず。昧(くら)ますべからず。時至るに臨んでは芽を出し葉を生じ花を開き子(み)を結ぶ。よつてものの子(み)を実(じつ)といふ。実も誠なり。ひとつ腐(く)ちただれて誠ならざる物あれば培(つちかひ)灌(みずそそげ)ども生ず。子(み)病(やめ)るものは苗瘁(かじ)く。苗瘁(かじけ)たる物は枝葉茂らず。是誠のいひにあらずや。

誠、実と私どもが言うはREALの謂いである。現実は実の発現、manifestationである。植物の子は育ち、再び子を結ぶがゆえに実。それは自然のなすところのもの。

私どもが作り上げるなかに、「芽を出し葉を生じ花を開き子(み)を結ぶ」ものはいかほどあるだろうか。

なによりも、誠は人の道徳的構えをいうばかりではない。実として現れ出る機序を言うのであった。