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よろづ天道まかせで

精神そのものが管理できるとしたら

マスメディアのような主流メディアがあてにならず信頼もできないと感じてきました。最近はオルタナティブメディアを務めて見るようにしていますが、世の中の変化を承知しておくのに手間暇がかかるし、精神が懐疑に食い荒らされるような感覚にとらわれることがあります。

そうして、ジョージ・オーウェルの『1984』の一文を思い出すことになりました。

「・・・ただ単に経験の正当性ばかりでなく、客観的な事実の存在そのものまで、党の哲学によって暗黙のうちに否定されるのである。異端の中の異端こそが常識だった。そして戦慄すべきことは正反対の考え方をしたために殺されるということではなくて、むしろ彼らの方が正しいかも知れぬと思い込むことであった。なぜなら、結局のところどうすればニ足すニは四になるということが確認できよう?引力が働くということも、過去が不変のものだということもどうやって証明できよう?過去も客観的世界も精神の内部にだけ存在するとしたら、また精神そのものが管理できるとしたらーーー一体どういうことになるのだろうか?」
ジョージ・オーウェル、『1984年』、新庄哲夫訳)

「精神そのものが管理できる」という事例は過去を勝手につくりあげている近隣諸国のケースのみならず、多々、目に着くような気がしています。